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~田舎に住む受験生に送る~

0 名前:田舎者 ◆OpeTE2Ts:2004/02/04 13:42
それは去年の今ごろの話。
俺は鹿児島県下のとある田舎町(それでも人口6千人は越えている)生まれで、
そこの中学・高校に通い、一度も都会に行ってことは無かった。鹿児島市さえにも。
都会とはテレビでみる、あたかも遠い星の光景でしかなかったのだ。
お台場の未来的なビル風景。流行の洋服を着た渋谷。国の中枢霞ヶ関。皇居。
すべてがテレビや新聞の向こうの、俺とは関係の無い領域のものでしかなかった。
地元の高校を優秀な成績を修めてきた俺は、担任から大学受験をすすめられた。
「そ、そんな。とんでもないです」
高校の面談室で、同席した父親が声を漏らした。
ちなみに父親は中学を出てすぐ役所で働いており、母親ともそこで知り合った。
母親も中学までしか出ていないのは言うまでもない。
日本の教育水準も上昇し、俺も高校に通うことができるようになったのはあり難い
ことであった。
金持ちの子弟は、小学校から公立でなく私立に通うので、金持ちの家の友人は
俺の周りにはいなかった。みな高校を出たら就職するのが一般的であった。
「まこつ!?(鹿児島弁で”マジで!?”)」
と驚く俺。
担任は俺の学力でも、十分社会の役に立つと認めてくれたのだ。
勉強を重ねてきてよかったと思った

↓続く
1 名前:匿名さん:2004/02/04 13:43
こうして、俺は大学受験を決意することに決めた。
両親も、国公立大学であれば学費を出せると同意してくれた。
今まで知らなかったことだが、私立と比べて国公立は学費が格段に安いら
しい。普段は政治に文句ばかり垂れていた俺も感謝したものだ。
ただ予備校や塾に行く金の無かった俺は、自学自習するしかなかった。
青チャートと河合の単語帳と英頻をかってきたときは、その値段の高さに
親に申し訳なくなってしまったものである。
そのぶん。これらを余すことなく使い込んでやろうと決意した。
クラスでも就職や遊びのことを話す友人を片目に、受験勉強に打ち込んだ。
苦痛ではあったが、家族や担任をはじめ、学校の皆かた期待されていた。
「末は博士か大臣か」
この言葉が意味を失って今やもう久しいが、この言葉は俺の地元では
十分に意味を成していた。俺は期待を裏切るわけには行かないのである。


2 名前:匿名さん:2004/02/04 13:43
結局何がいいたいの?
3 名前:匿名さん:2004/02/04 13:43
相談?
4 名前:匿名さん:2004/02/04 13:43
一日何時間勉強したかわからない。都会の人たちが一日何時間勉強している
のかは、知るよしもない。彼らとは生きてる世界が違うのだ。
仕事といったら干し柿作り、遊びといったら缶けりが普通のこことは
まったく違った生活をしているのだろう。
勉強のわからないことは担任に聞いた。Z会の添削もはじめた。
定期テストは常にトップだった。模試を受けてみることを進められた。
そして河合の記述模試の結果、全国62番に!!
その日その晩、学校では先生と呼ばれ、家ではひいじいさん以来の出世かと
言われた。(余談だが、俺のひいじいさんは日清戦争に従軍しており、
戦傷を負って勲章を授与された。そして陸軍少佐にまで昇進した)
この受験。絶対に成功させてやる!という気概でいっぱいであった。
これはある意味、田舎者の俺と、まだ見ぬ都会の人たちとの勝負であった。

5 名前:匿名さん:2004/02/04 13:43
正月が過ぎ、センター試験が終わった。迂闊にも鹿児島市のセンター会場
があまりにデラックスだったので緊張してしまった。
センターの結果は約9割。まぁ、都会の人だったらこのくらい取ってくるの
だろう。第一段階は通過したと言っていいかもしれない。
志望校は担任と相談し、東京のH大学に決定した。
再度言うが、「東京」のH大学である。あの大都会の「東京」である。
「東京」この漢字2文字ほど大きく強大で、恐ろしく魅力的な言葉はあるまい
あの、首都東京に、このド田舎の俺が試験を受けに行こうというのである。
真珠湾を奇襲した当時の軍人は、こんな気持ちだったのだろうか。
俺は特に法律が学びたかったので、H大学に決めた。H大学は伝統と実績の
ある名門校だ。センターが終わっても俺はがむしゃらに勉強した。
担任は、1月入ってから俺が学校を休むのを黙認してくれた。
クラスの皆から手紙が渡された
「学校を代表して頑張ってこい!!」
と他にも様々な激励の言葉。学校で大学を受けるのは俺一人だったらしい

6 名前:匿名さん:2004/02/04 13:44
田舎でもいいじゃん☆
7 名前:匿名さん:2004/02/04 13:44
月日が経つのは早いもので、東京に行く日がやってきた。
宿の予約よし。飛行機の予約よし。そして受験票よし。
旅立つ前日の俺は、4回くらい装備の確認をしただろうか。
地元神社で買ったお守りと合格鉛筆だけは忘れないようにした。
担任も激励に来てくれた。
空港に行くまでの電車で、参考書を読みながらモーツァルトを聞いた
かの神童モーツァルトも、こうして努力してきたのかな、と若き日の彼を
想像してしまったものだ。
空港に着き、生まれて初めての飛行機へ。
空に飛ぶという感動と、室内の微妙な気圧の変化に驚きながらも、
これから東京に行くのだという決意でみなぎった。
JASの人がお守りをくれた。そして「がんばってください」という言葉。
他の飛行機に乗ったことがないからわからないが、JASの飛行機は最高の飛行機だ。


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