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【異論・反論】内申制度の是非を問う【オブジェクション】

0 名前:名無しさん:2005/12/09 13:36
内申制度について、是非とも議論しましょう。
1 名前:匿名さん:2005/12/09 13:42
いい加減にしたら?こんなところで論ずるぐらいなら、個人的にHPでも立ち上げてやってよ。
2 名前:匿名さん:2005/12/09 14:14
まだ内申のこと言ってる阿呆がいるんだね~!
3 名前:匿名さん:2005/12/09 14:47
>>0
黒海偽印さんを動かせる資金力と人脈でもあるの?
あなたのようなご立派な信念がおありなら、ネット掲示板でお茶を濁すのは
勿体ない。被選挙権があるなら私財を投げ打っての立候補を進言いたします。
4 名前:匿名さん:2005/12/26 17:02
670 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 13:50 ID:xYO2a.8w]
中学校の先生にお聞きします、
実技で3という評点はどのくらいの位置を示しているのでしょうか?
そしてどういった子がそういった点をつけられるのでしょうか?
友人に3をつけられるような子は相当劣っているとしか考えられない
と言われてしまい落ち込んでいるのですが。

そして通知表とは誰に対して、何を目的としてつけられるものなのですか?


671 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 13:59 ID:xYO2a.8w]
それと内申書は私立の受験の際に不用になった場合封を切らずに
中学校に返す旨の通知を受けましたが、何か保護者に見られては
困るような事でも書いてあるのでしょうか?


672 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 15:29 ID:xYO2a.8w]
やはり内申点は高校入試の際の選抜基準にするべき根拠が見つけられない!
これ見てください。

http://www.kyo-sin.net/evaluation.htm
5 名前:匿名さん:2005/12/26 17:04
673 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 15:41 ID:m/MG29ts]

確かに不公平ではありますね。
しかし、おいしい思いをしてる側は黙認だね。

相対評価が嫌で私立一貫高に流れた層も多数いるのだから、
今後はもっと多くなるんだろうな。


674 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 16:03 ID:5JO57a9U]
661のものです。

663sへ
内心は1年:38 2年:41 3年(今のところ):41 です。
浦和南行きたいんですけど、偏差値が59しかなくて・・・
どのくらいあれば有望ですか?

誰か教えていただけたらうれしいです。


675 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 17:08 ID:uf7V0vJc]

これだけいい加減な絶対評価の優劣なんて比べてもなんの意味もないのに
高得点をとっていながら引きずり落される。
中学の先生も自ら適当につけた点数の総合点で生徒の受験校選択の材料として
真顔で受験指導している。
偏差値はしっかり取っている生徒の保護者としては、唯一の懸念材料は内申点
であって、それをつけたのはお前達だろうという気持がどこかにある。
可愛い教え子に敢えて足を引っ張る内申点をつけるのだからそれ相応の説明
責任があるのではなかろうか。


677 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 19:18 ID:uf7V0vJc]

の子供さんは偏差値59で内申点41ということですが、私には高すぎる内申点に
思えましたがのHPから推測する限り決して高いんじゃなくて普通なんだと
再認識しました。
全国平均で5が17.5%にもなっているのですから偏差値60辺りでオール5でも充分
ありうる数値ですね。
しかし保護者関連のスレを覗いてみると本来オール5をとっていてもおかしくない
偏差値68以上の生徒の内申点合計が30前半であったりもしている。

頑張って採ったとはおもわれない90点は4であり、頑張って採ったと思われる
80点は5と認定されるのが絶対評価の評点、その評点の合計で合否が決められる
現状に何の疑問を持たないどころか、それで良いと思っている先生がほとんど
であるという現実は何をか言わんや、というところである。
6 名前:匿名さん:2005/12/26 17:05
678 名前:名無しさん [2005/12/21(水) 20:29 ID:uf7V0vJc]
抜粋

 「できない」という結果は、これほど重要な意味を持っている。その重要な
意味をシグナルとして親に送るのが通知表の役割ではないか? 
「1」の子に「2」をつけるという行為は犯罪行為にも等しい。実際にはでき
ないのにできない子に「ふつう」とか「よい」という評価を下す人間の気が知
れない。
「できない子」を放っておいて、それでいて通知表には「ふつう」とか「よい」
とか評価してそれでおしまい。
 「わかる」を重視するといっておきながら「できない」という結果を軽視する、
これは教育現場の大きな矛盾である。そして、これこそが、現場教師が成績とい
うものに一番固執していることの現れである。

 こうしてみると、「評価」というのは学力を把握したり指導の成果を確かめた
りする「手段」ということがよくわかる。しかし、教師も保護者もそれを手段と
見ていない。大半の保護者は通知表に「3」と書いてあればその結果だけを見て
安心する。逆に「1」という評価をバシバシつける教師もいる。「3・・・良い」
、「2・・・ふつう」、「1・・・悪い」。学習の成果を正確に伝えるのが通知
表の役割であるはずである。現場教師に今一度問いたい。自分のつけた成績にき
ちんと責任を果たしているかということを。

 「1・・・悪い」という評価を下された子どもは、それ相応の指導が必要だと
言うことを親にもしっかりと(口頭で)伝えるべきであるし、何よりも教師自身
が指導の至らなさとして深く反省すべきである。「できないものはできない」では、
教育も教師も要らないではないか。なぜならば、「できないことをできるように
する」それこそが教育の基本だからだ。それが教師という専門職の仕事なのでは
ないか?

実に私が言いたい事をすべて言ってくれている。きっと同じ思いの人が多くいるんだ
と思います。

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