NO.10417313
イジメられる人よりイジメをする方が悪い
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0 名前:名無しさん:2011/08/29 20:24
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私は、イジメられる人よりイジメをする方が悪いと思う。
何故かというといじめる方の心が弱いからである。
イジメは何があっても容認されるべきではない。
私は、どんどんイジメが減少して欲しいと願う。
心の寛容さはイジメないことからも生まれる。
だからと言ってイジメ対象者を無視するのではなく、適当に距離を
置きながら友達でいればいい。付き合っているうちに案外いい人だと気づくときもある。
気づかないときもイジメは最悪であり、ある意味、「民族浄化」的だ。
寛容さは社会に出てからも役立つ。
イジメるやつに俺の一言★イジメる方が悪い。
寛容さがないからイジメるのだろう。
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16 名前:匿名さん:2011/10/20 19:20
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>>0のどこか正論なのか理解に苦しむ。
>>0は、自分は何があっても容認しないと言い、相手には寛容さを要求してくる。
他人には厳しく、そして自分には激甘な考え方だ。
相手に寛容さを求めるなら自分も寛容であるべきだし、
相手を容認し無いなら自分が容認されない事も認めなければならない。
それとな、適当に距離を置く事を無視と言うんだよ。
大きく距離を取ってしまったら、声すら掛けられないのだから無視もできなくなる。
無視するな、適当に距離を置け、友達でいろと言うのは矛盾している。
寛容さは社会に出てからも役に立つかも知れないが
非情さも社会では必要である。でなければ規律が維持できない。
自分の我侭を聞いてくれと言っているのと変わらない。
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17 名前:匿名さん:2011/10/21 11:54
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>>15
いじめるよりもいじめられる方が悪い掲示板の1をよく読め。
あちらの1は、なにかイジメられる原因がある事が前提になっている。
だから何も理由が無くても、何も原因が無くても、いじめを推奨するという文ではない。
対してこちらの1の主張だと、いじめと言うのはとてつもなく広義で曖昧な表現だ。
そしていじめは自己申告だから、ほとんど無条件に相手側を拒否できる事になる。
それでいて容認される事に対しては条件付けがされていない訳だからー
「自分は他人を容認しないが、他人には自分を無条件に容認するよう求める」という物になる。
普通に自己中な物の考え方だろう。
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