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◆◆◆中畑佐知子(甘木/高林 透子)不要論◆
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443 名前:匿名さん:2009/11/26 11:06
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>もはや自分をそそらなくなった対象との関係は、できる限り優美に終わら
せるべきです。それが究極の誠実であるし、手放される物、事、人のためで
もあります。
高林さんは、「『そそらなくなる』ことがよくある」のだと思いますが、
何かを大切に育んだという経験が何もないのでしょう。
「関係を終わらせる」ことができるのは、男性と人格を認め合う恋愛をした
ことがないからでしょう。もし、人格を認め合う関係を築いているなら、
関係を終わらせようと思っても終わらせることは、なかなかできないことです。
「そそらなくなってしまう」だけで、関係を終わらせることはできないでしょう。
彼女は、人間関係をスパスパ切っていけるようですから、他人への共感能力
は低いのでしょう。高林さんにとって、他者の存在は、非常に軽いはずです。
例えば、ブログに書いたことで、誰かを傷付けてしまうかもしれないとは、夢にも思っていないでしょう。他人対して鈍感なのです。
>人はみな間違いや思い違いをするし、また、人の心は変わりもします。
ですから、その当時は「いい」と思って入った会社やつき合い始めた恋人で
も、今はじつは、さほど「いい」とも思えない。
人の心は移ろいやすいものです。一時の感情に流されると後悔することが
多くなります。このことを深く理解しているならば「そそらなくなった」
というのも一時の感情かも知れません。
>じゅうぶん求めてもらえるところに移ったほうが幸福に決まっているから
です。
本当でしょうか?そうとも限らないのが人間の営みではないでしょうか。
隣の芝生は青く見えてしまうものです。彼女は、予備校講師の時代、最後の
講義で「私の言葉を信じていけない。疑え」と言ったそうですが、無責任の
上にも程がありますね。講義では、準備してきたことの半分も解説せず、
教室の雰囲気に合わせて話すことが多いそうですが、
準備したことが大した内容ではなかったのでしょう。準備を十分に練り、
吟味を重ねたものなら、それを話さないなんてあり得ないからです。
随分、いい加減なことをなさっていたのではないでしょうか。
これは、彼女が、人間の営みを知らないだけなのかもしれません。
人間関係を育んで来れなかったのですから。