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光塩女子学院=ガリ勉ばかりの6年間にようこそ=

35 名前:匿名さん:2006/12/08 02:25
宗教とは他者に非寛容であり、特定の価値観への同意を求めることであることにもっと留意すべき。
道徳が宗教になっているのも特定の宗門の生徒への教育を目的としているから許されるという認識はきちっと持つべき。
ミッション系が精神教育だというのは正に特定の価値観そのもの。

中教審における識者からのヒアリング概要から一部引用します。

『とかく宗教界の人間は「宗教平和」ということを言うが、宗教の基本は、自分たちとそれ以外を区別することである。
 キリスト教では異端を審判し、ユダヤ教の教義の基本は神と選ばれた民であるイスラエルとの契約であり、神道でも国を治めるべしとの神の命令から神話や国造りが始まっている。
 基本法第1項の「寛容の態度」が必要なのは、もともと他宗教に寛容ではないから。
 公立学校には色々な人がいるので、特定の宗教を教えることができないのは当然である。』
『一方で、私学については、学教法施行規則(第24条第2項)において、「宗教をもって前項の道徳に代えることができる」とある。
いろいろな人が集まる公立学校で宗教教育をすることは押しつけになり、信教の自由に反するが、決まった宗門の生徒が集まる私学では、宗教が道徳教育に当たるとの認識は正しい。』

阿部美哉氏(國學院大学長)の意見陳述の概要
(中央教育審議会第20回基本問題部会(平成14年12月19日)より)
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/voice/001/v001_03.htm

ユダヤ教からキリスト教、イスラム教と続く一神教の教えについて日本人は安易に考えていないでしょうか?
現在この中で最も信徒の多いキリスト教徒も日本の人口の1%程度といわれていますが、安土桃山時代から江戸初期においては西日本を中心に人口の約10%を占めていたといわれています。

特に三宗教に共通して引き継がれている宗教感に終末観があります。
「信ずるものは救われる」・・・この言葉に代表されるように『最後の審判』に備え日々の生活を送る。
全ての教えの基本をなすものといっても過言ではないでしょう。
ここに、一種の選民思想が潜んでいるといわざるを得ません。
一神教の他者への非寛容さを無視して現代社会の国際情勢を語ることは出来ません。
宗教を考える際には一神教の問題を抜きに考えるのは非現実的ではないでしょうか・


最後の審判(さいごのしんぱん)
「世界の終末においてメシアが出現し、死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分ける、という思想をいう。
 これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。
 元々はゾロアスター教の教義から来たものと言われる。」

(出典:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E5%AF%A9%E5%88%A4)


現代社会について宗教国家なんてイスラム圏の特殊なことと考えがちですが決してそのようなことはありません。
最近NHKをお辞めになった池上彰さん(子供ニュースでお世話になった方も多いかと思います)の近著『そうだったのか!アメリカ』(2005年ホーム社)などをお読みいただくのもいいかと思います。
また、多神教国家であったローマがキリスト教によってローマでなくなっていく悲痛な叫びを塩野七生さんは『ローマ人の物語壱 ??~??』(2003年~2005年)で述べておいでです。
また、最近の研究では『島原の乱』は農民の圧制に対する反乱ではなくて『宗教戦争』であったという見方も有力になっています。実際、騒乱時という特殊事情下にあるとはいえ、キリスト教徒による非キリスト教徒の虐殺行為の記録もあります。

決して日本も例外とは言い切れないと思います。
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