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立教 VS 学習院
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29 名前:匿名さん:2005/07/17 11:14
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ただ、上の大学を目指すことに意義はあるんだと思う。
俺の高校時代、進路アンケートをとった直後の授業中に、俺が尊敬する先生がこういう話をしてくれた。
「この間、君達の志望校をざっと見させてもらいました。私は思ったんですけど、皆さん大変謙虚ですね。
個人レベルで見れば、もっと上を狙えるのになぁ…という人が結構います。でも、都会でハイレベルな環境に
身をおいている君達にとって、それは良くも悪くも『現実を知っている』っていうことになるんでしょう。
というのも、日常的に『東大に入るべくして入っていく人達』というのを見ている分、『ああ、こういう人達が
上にはいるんだな』ということを知っているんです。だからそこまで高望みはしない。ですがハイレベルな世界を
知らない人達は違います。例えば、私が以前予備校の講師をしていたとき、北海道とか九州とかの地方の校舎へ行くと
『なんでこいつの成績で~大学志望なんだ?』と思えるような例が極めて多かった。というのも、そういう人達は周りに
ずば抜けて優秀な人と言うのが少なかったんですね。だから、本気で頑張れば俺もできるんじゃないか、と錯覚してしまい、
自分の実力から遠く離れた大学を志望してしまうんです。上を見続けるあまり自分の実力を見誤る、とでもいうのでしょうか、
それはポジティブシンキングともとれますが、この際そのことの良し悪しはおいておいて、それは『世界観の狭さ』を意味します。
『ああ、こういう奴がいるんだな…』という現実を知ることで、自らの世界観を広げることができ、ポテンシャルが増してゆく。
その結果、人間的に深みが増す。別にこれは勉強の世界に限ったことではありませんが、私が君達に『少しでも上を目指した方が
いい理由』として、このことを一つとしてあげておきます。どんな世界でも、上の方のレベルのところへいけば、そういう『すごいやつ』
は比例して多くなる。そういう人達とどんどん会って、自らの力を広げていって欲しい。そんなに自分の力を過小評価せずに、一つでも
偏差値が上の大学へ、できるだけよい環境で学べる大学へ…君達若者にはそうあってほしいと思います。」
つまり、ハイレベルな環境に身をおくことによって自らの可能性を広げることができる。
もちろんその大学の将来性というのもあるけど、付き合うことのできる人の範囲が広がるんだと思う。
成績がいい、ということは物事にどれだけ真剣に取り組めるのかを測る一つの指標にもなるし、
ちょっとでも上へ上へ、という向上心は必要なんだと思う。