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表三郎・スーパー英文読解法再評価
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0 名前:shigeru:2003/12/07 06:47
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最近、あまり人気ないみたいですね、関西駿台の表先生。
私が在籍していた頃は、講習も締め切りになるし、少なくとも
人気講師の一人でした。ここであらためて、先生の読解法、ならびに
和訳法を批判、再評価してみたく思い、スレッドをたてることにしました。
もちろん、先生は授業中、学生運動の話で脱線すること多しで、それが
最近では不人気原因の一つなのでしょうが、このスレッドでは
その部分はあえて、のぞいて、彼の英語に対する考え方、
読解法を考えてみたく思います。
ちなみに先生は伊藤先生批判でも有名ですが、実際のところ、かなり
伊藤先生のことはみとめていたようです。逆にいうと批判に値する
先生が伊藤先生ぐらいしかいなかったよう。
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251 名前:『スーパー英文読解法』のルーツ:2007/11/13 10:30
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『スーパー英文読解法』のルーツは『高校英語研究』に載った「英文熟読教室」
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252 名前:匿名さん:2007/11/13 13:28
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「英文熟読講座」という題名で1989年4月から1991年3月まで
24回の連載がある
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253 名前:匿名さん:2007/11/14 06:50
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『スーパー英文読解法』は上中下の3冊の予定だったらしい。
『高校英語研究』のバックナンバーから表さんの連載部分だけを
集めたコピーまわしが流行っているので、それを手に入れるだけで
『スーパー英文読解法』の完全版を勉強できるよ
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254 名前:匿名さん:2007/12/09 15:40
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どこで流行ってるんだよ?関西限定?
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255 名前:匿名さん:2007/12/09 19:17
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テープもってる
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256 名前:匿名さん:2008/02/02 02:43
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>>254
研究会のメンバーならほとんどみんな持ってるよ
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257 名前:匿名さん:2008/02/26 13:46
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ああ、あの表さんの研究会ね
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258 名前:匿名さん:2008/03/11 12:58
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,
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259 名前:匿名さん:2008/04/16 06:59
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『スーパー英文読解法』の完全版を
手にいれました。なるほど、噂どおり、余談の欄が面白い!!!!!
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260 名前:匿名さん:2008/05/18 11:04
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余談の欄と言っても、内容説明の一種だから
これからの勉強の指針にもなるね
すごく為になるよ
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261 名前:匿名さん:2008/05/19 02:47
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伊藤先生の後継者とか言ってる先生か。。
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262 名前:匿名さん:2008/05/22 13:26
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表さんが顧問の研究会って、まだ活動してるの?
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263 名前:表三郎氏講演会:2008/06/06 17:22
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ベストセラー『答えが見つかるまで考え抜く技術』の著者表三郎氏が、好評を博し
た昨年の京都大学講演会に引き続き、ここ駒場の地で講演会を開催します。前回の
講演会には参加していないので、不安だという方もいらっしゃるかもしれません。
しかし今回が初めてという方にも理解していただけるように話は展開されていきま
す。今回も手に汗握りながらのあっという間の三時間半になることでしょう。
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264 名前:1.「個人」の発生から個と全体の関係へ:2008/07/07 16:34
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「個人」という概念ができ上がったのは(個人が個人を規定するようになっ
たのは)ルネッサンス以降であり、共同体が解体されることで「個人」は発
生しました。生産性の低いところでは個人は共同体に依存することになりま
すが、生産性が上がると余剰物が生まれ貨幣が流通するようになり、共同体
の解体が進んでいきます。つまり集荷場が都市化し共同体が解体されるので
す。そして共同体の解体によって社会的分業が生まれ、交換が始まります。
貨幣授受の主体が個人であることによって、人は都市にいくことで個人とな
ったのです。
「個人」の発生以降、個人の自由が全体との関わりとしてとらえられること
となりました。近代の法、経済、政治、倫理、政治哲学が問題にしているの
は個と全体の関係です。これまで個と全体の関係をめぐるさまざまな主義主
張がなされ、政治や経済に実践されてきました。
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265 名前:2. マルクスについて:2008/07/13 07:59
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ここでこのような背景をとらえた上でマルクスの歴史的決定論について考え
てみることにしましょう。注意すべきなのは、歴史的決定論はある大きな枠
組みにしか適用できないものだったということです。個人に対して適用でき
るものではなかったのです。個人の役割を歴史法則が決定するというのでし
ょうか?人間の主体性を抹殺しているのではないでしょうか?マルクスの考
えの根底には実は人間蔑視があったのです。プロレタリアートという集合体
などいませんでした。それは幻想だったのです。党ができることでプロレタ
リアートが創出されてしまったのです。
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266 名前:3. Grand Theoryの終焉:2008/07/28 11:19
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マルクスについて見てきたように大きな枠組みについて語るgrand theory
の時代は終わりました。個々に考えていくしかないのです。普遍概念を使っ
て実体を説明するのはおかしいでしょう。
<社会はどうあるべきか>、<社会のために>、<大衆のために>などとい
うことばを簡単に使ってはいけないでしょう。なぜなら全体としての社会を
構成するのは私たちだからです。個から遊離した全体など存在しません。自
我が絶対化し、自我が超越し出すと、全体を夢見るようになり、個から遊離
してしまいます。多様性が低い段階では<全体としての我々>になります。
例えば多様性が低いために、中国では毛沢東のカリスマに自己を投入し埋没
させていった時代もありました。また共産主義のようなユートピア主義が殺
人を生むことにもなりました。なぜなら私的所有の廃止には身体の私的所有
も含まれているからです。
生産の際にも、進歩主義を夢見てはいけないでしょう。進歩する必要性が今
の時代にはないのです。消費を行う主体が多様的である以上、経済も多様的
なのです。進歩主義は全体主義につながります。
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267 名前:4. 「全体としての我々」から「さまざまな私たち」へ:2008/08/08 13:21
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全体の調和をはかるために国家形成がなされましたが、現在人や資源や資本
は際限のない流動的なものとなってきており、同時に国民国家も少しずつ機
能を果たさなくなってきていることが浮彫りになってきました。
選挙もすでに決まっている代議士を民衆が受け入れる儀式にすぎないのです。
服従を意図せず受け入れているのではないでしょうか?法律は弾圧だともい
うことができます。法律が犯罪を呼ぶことになる場合もあるのです。そして
これまで自由を求めよ、と言いながら実は社会的統制を求めよと叫んでいた
にすぎなかったのではないでしょうか?自由というのは表看板で、統制が裏
に隠れてしまっていたのです。
人間が人間であるかぎり支配的な統一体などいらないのではないでしょうか
?近代はもはや過ぎ去りました。様々な私たちの時代が今きているのです。
全体としての国家に全面的に依存する必要などもはやありません。今グロー
バリゼーションによって国民国家の概念は解体されつつあります。実際にい
るのは様々な私たちなのです。21世紀は多種多様な価値観が対立しかつ共
存するそんな時代となるでしょう。
私たちは絶対的アナーキズムの世界へと歩み始めたのです。アーキーとは支
配のことであり、アナーキーとは支配批判のことです。民主主義とは、不同
意を示すことを許容することなのです。違う思想をもっていても協力はでき
ます。完全に一致した協力などできるわけがありませんが、そのような完全
性を求めなくとも、人間は言語をもっている以上始めから協力関係にあるの
です。無限に多様な人間であっても自ら秩序が生まれるのです。
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268 名前:匿名さん:2008/08/22 13:08
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人は言語があることで、自分と対話し、自己内においても話す主体となりま
す。社会の外部だけに社会があるわけではありません。コンピューター、パ
ソコンなど情報技術の革新による産物によって、個人の内部にも社会が息づ
いています。私たちは個々人の間に、そして自己との間に差異が存在するこ
とでコミュニケーションします。
現在私たちは無前提性の立場にたちモノとヒトとのすき間を微細に分析して
いくという現象学的な解析ができるところまできているのではないでしょう
か。私たちは目には見えないような微細な差異を少しずつ見抜いてきている
のです。つまりモノやヒトを実体としてはとらえることができなくなってし
まったのです。
今私たちは国民になっていることが心地よくない状態になっています。私た
ちは同質の国民などではありません。国民であって国民ではないのです。私
たちは実体化をどんどん外そうとしています。私たちは無数の差異の束にな
ろうとしているのです。
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269 名前:匿名さん:2008/09/14 09:03
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今回の講演会は前回の議論を発展させ、先生の議論の核心である『さまざまな私た
ちへ』という内容を中心にして、フッサールの現象学やアナーキズムの歴史を参考
にして講演していただきます。前回の講演内容から今回の講演内容へと至る道筋を
私の可能な範囲内で簡単に書いてみましたが、これを読んでいただいた方の中には、
抽象的な議論で難しいという印象をおもちになった方もいらっしゃるかもしれませ
ん。しかし実際に会場に足を運んでいただければ、そのような印象はどこかに消え
てしまうことでしょう。よく世間で先生がカリスマ名物講師だと言われる理由がき
っとそこにあるはずだと思います。巧みに進む絶妙なテンポ、理解しやすい身近で
面白い例、切れ味鋭いジョーク、そしてなによりその斬新な講演内容を楽しんでい
ただければと思います。
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270 名前:講師紹介 表 三郎:2008/09/18 11:12
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当時の社会を民主主義の立場から批判するため、1950年代からの左翼運動に参加し、理論家として全共闘運動で大阪市立大学の学生運動を指揮し、一躍勇名をとどろかせる。
その後、妻子を養う必要性に迫られ、予備校教師となるや、その類いまれなカリスマ性からたちまち人気講師となる。
英語を教える以上に、次のように学生の夢を実現する方法を指南してきたのが人気の秘密!
「夢をもったら2番手、3番手に甘んじるな!自己像は必ず狂っている。大人になるとは、あるがままの自己を受け入れることである。考えることは生きることと同じ。考えを正そうとするのなら生き方を正さねばならない。根底から自分をたたき上げる必要がある。」
これまでに教えてきた生徒の数は10万人をはるかに越える。
そして過去に京大で講演会を開催した際には800人締め切りになるほどの好評を博したこともある。
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271 名前:匿名さん:2008/09/18 12:07
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学生時代全共闘のリーダーとして勇名を轟かせた後、カリスマ予備校教師と
して東大、京大はじめ全国の大学に毎年数多くの教え子を輩出してきた、ベ
ストセラー『答えが見つかるまで考え抜く技術』の著者表三郎氏が、好評を
博した昨年の京都大学講演会に引き続き、ここ駒場で講演会を開催します。
前回の講演会においてマルクスからの脱却と個から遊離した全体である社会
や組織のもつ危険性について話は展開されました。今回は前回の議論を発展
させ、先生の議論の核心である『さまざまな私たちへ』という内容を中心に
して、フッサール現象学やアナーキズムの歴史を参考にしつつ講演していた
だきます。抽象的な議論で難しいというような印象をおもちの方もいらっし
ゃるかもしれません。しかし実際に今回の講演会に足を運んでいただければ
、そのような印象はどこかに消えてしまうことでしょう。先生がカリスマ講
師とよく言われる理由がそこにあると思います。理解しやすい身近な例をだ
しながらトークは巧みに進み、切れ味鋭いジョーク、そしてなによりその斬
新な講演内容に魅了されること間違いなしでしょう!
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272 名前:表三郎師んとこの研究発表会みたいな?:2008/09/23 09:16
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2005/ 1/ 3
スピノザ研究会/ネットワーク情況関西公開講座のお知らせ
「スピノザ研究会」及び元「サルトル研究会」参加者の皆さんにお知らせします。
1月30日(日) 京大会館 会費 1,000 円(午前午後通しで)
10時~12時 スピノザ研究会
表三郎「ヘーゲルのスピノザ理解」
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273 名前:匿名さん:2008/11/24 10:53
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サルトル研究会 - 表三郎を講師に迎えて開催しています。
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274 名前:/:2009/06/29 14:18
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275 名前:匿名さん:2009/07/19 13:21
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9
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276 名前:匿名さん:2009/07/24 02:34
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◆『答えが見つかるまで考え抜く技術』(表三郎著/サンマーク出版)
→考え抜くために「問いをもって」生きる
駿台予備校の名だたる英語講師に名前を連ねる表三郎氏。その彼が、一般向けに
「考える技術」ならぬ「考え抜く技術」の本を出しました。これは面白い。最初
から熱いです。引用してみると、
「考えることは、誰にだってできるし、四六時中、何かについて考えている(と
思っている。)ところが、答えが見つかるまで考え抜くことができる人は、
じつはそれほど多くはない。たいていの人は、途中でうやむやにして、考える
ことを放棄してしまうのだ。「考える」と「考え抜く」の間の溝を埋めるのは、
案外たいへんなのである。」
「考える」と「考え抜く」の間の溝という表現には強い印象を受けましたね。
確かに何とはなしに考えるとか、自分では考えてるつもりになっているけど、
それをどこまで持続できているか、突き詰められているか。そう考えると、今まで
「考え抜く」までいった経験はどれだけあるだろうと不安になってしまいます。
じゃあ、考え抜くためにはどうすればいいか?著者の答えは、これ。
「「問い」をもって生きること。ただ、それだけだ。」
巷にあふれているような、ロジカル・シンキングなどの本で学べるような体系
立った知識や、斬新な発想法の類は、この本には一切登場しません。そのような
一般化された知識ではなく、著者自身がまさに「問いを持ち続け」「考え抜いて
きた」その過程を吐露している本です。著者が語っている体験を、自分の日常で
どう生かせるだろうか?自分は似たようなことをやっていないだろうか?やって
いるならば、それを持続させるためには何が必要なのか?
そういう姿勢を持って読むのが良いかもしれません?そういう姿勢こそ「問いを
持つ」ことに他ならないですから。
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277 名前:匿名さん:2009/08/17 19:50
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英語をただの受験英語で終わらせたくないと思うなら絶対お勧め!英文が訴えかけてくることを素直に読み取るという語学の本質に受験生を導いてくれる。人生の意味について考えさせられるような深い話も大変興味深い。
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278 名前:匿名さん:2009/10/25 03:12
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考えることは誰にだってできますが、答えが見つかるまで考え抜いている人は案外少ないのではないでしょうか。
たいていの人は、考え抜くことを放棄してしまって、途中でうやむやにしているのです。
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279 名前:匿名さん:2009/11/25 02:56
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ttp://phenomenology.hp.infoseek.co.jp/
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280 名前:.:2009/11/30 17:43
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..
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281 名前:『スーパー英文読解法』:2009/12/17 23:33
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この本は徹底した精読用の問題集である。掲載されている設問は全て、普通の大学
入試に見られるようなものとは一線を画すものとなっており、英文の内容が筆者の
意図まで含めて真に理解できていなければ正解に辿りつくことはできない。英文自
体は全て大学入試英文から採られているが構文・語彙的に手ごたえのあるものが多
い。問題集の意向には大賛成であるが、果たして今の高校生がこの問題集相手にど
こまで格闘できるか? 私の経験に拠る限り、難関大学の英文科生でも苦労する者
が少なからずいるように思える。東大・京大などの『超』難関大学で英語を『圧倒
的』得点限にしたい人は挑戦してみる価値はあろう。それ以外の人にはより基礎を
固めることを薦める。
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282 名前:匿名さん:2009/12/30 01:05
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283 名前:匿名さん:2010/01/23 16:49
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284 名前:匿名さん:2010/02/21 01:15
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表三郎『スーパー英文読解法(上・下)』と『スーパー英文読解演習???』
(いずれも論創社)を買った。表三郎ってどっかで聞いたことがあるなと思ったら、
1970年代にマルクス主義関係の本の翻訳をしていた表三郎と同一人物だった。
今でも『情況』なんかに書いているらしい。帯に「ポスト構文主義宣言」とある
ので何かと思ったら「構文主義」を徹底させた上で内容理解を重視するということ
のようだ。よく分からないが天満美智子への言及があるのでたぶんあのラインでしょう。
内容はまっとうで特に変わったことをやっているとも思えない。お、ちょっといい
んでないの、と思うところがあったが、少し先を読んで、あー、ちがうな~、にな
ってしまった。この辺のことはまた別の機会に。ちなみに表は伊藤和夫を「要素決
定論」として批判している。
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285 名前:匿名さん:2010/03/26 05:17
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286 名前:匿名さん:2010/05/16 13:44
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駿台関西の親玉。講義の内容も英語にとどまらず、
英文の内容についても知的レベルの高い内容を講義する。
彼自身の個性の強さから好き嫌いが分かれるが、
やっていることは間違いなく超一流(本人に言わせると日本一だろう
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287 名前:匿名さん:2010/06/12 15:56
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駿台にいながら伊東和夫率いる構文主義を否定し、「ポスト構文主義」を標榜する。
自他共に認める左翼であり、授業中に昔の学生運動話で盛り上がったりする。
人によって完璧に評価が二分され、神のように崇める人と、くそみそにけなす人がいる。
左翼系雑誌「情況」などにも執筆する。河合塾の牧野剛(国語)とデモもやる
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288 名前:匿名さん:2012/12/01 07:05
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英語の教師だが歴史や哲学、また芸術にも深く、彼の授業をうけている限り他の教師の英語の授業はいらないと思う。また、小論文の添削などもしてくれ、非常によい教師だった)
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289 名前:匿名さん:2019/07/11 09:50
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受講の際、必要なものは教養である。また、彼の英訳には独特のものがあり、単なる逐語訳や文章全体を理解していない和訳を嫌悪している。単語帳(特にターゲット)の不必要性、危険性がわかる。
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290 名前:':2019/07/11 09:50
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291 名前:この投稿は削除されました